ツールの利用歴があるにもかかわらず、「Blueskyでは言うが、Xには流さない」形の発言をした場合、それはバレないように陰口で中傷することを、最初から意図していたことの傍証だからだ。今後はそうした厳しい監視が、差別発言歴のある嶋氏のような「前科者」には科されるだろう。
しかし私自身、かつては彼らと同じ「Twitterを使う大学教員」だった者として、いま思う。
オープンレターで大敗北を喫し、フォロワー数が9割減となるBlueskyに逃走してもなお、学者とは気に入らない相手の中傷をやめられない動物なのだろうか。もしそうなら、学問の意義とはなにか。

同時期の隠岐さや香氏のX。逃げ出す気持ち自体はよく理解できます
嶋理人氏の数ある暴言の中で、特筆すべき以下のものについては、従来も紹介してきた。彼自身の表現に倣って、こうした「学者」による下品な中傷行為については、私もまた ”豚の嘶き” と呼ぶことにしている。

最初に指摘したのは2021年12月のこちらの記事。本人は撤回も反省もしない模様
忘れてしまった人が多いが、Twitterへの投稿を指す「ツイート」の語源は、”鳥のさえずり”。SNSの開幕期に夢見られた、自由に開かれた爽やかな言論の空間を取り戻したいという想いが、 ”青空” という命名には込められていよう。
しかし世間の目につかぬよう、そこに潜んでこっそり中傷を続ける学者たちを見るかぎり、Xでの敗者が「遠吠え」する場所としてのBlueskyもまた、遠からずOinkfarm(嘶き牧場)になってしまいそうだ。空が青く晴れたところで、泥にまみれて嘶く動物の生態は変わらない。