私に言わせれば、トランプ氏がやったことは、ネットやSNSを通じた大衆迎合などではない。自らの信念を、自説とは異なる考え方が主流となっている「大衆」に向かって発信するため、既存メディアが使えないので(既存メディアでは、大衆向けの視聴率を稼げないと判断されるので)、それとは異なる新しいメディア、ダイレクトコミュニケーションが可能な手段を、ある意味でやむを得ず活用したまでなのだ。

その結果、自らの岩盤支持層を固めていった。トランプ氏が実現したのは、大衆への迎合による大衆の支持の獲得ではなく、自らのファンの形成なのだ(ファンベース)。

トランプ氏がやっていることは、間違いなく、既存のエリートたちへの反逆である。そういう意味では、トランプ氏はエリーティズムの真逆にいるかもしれない。先述のポピュリズムの多種多様な定義の中にも、この反エリーティズムをその中核に据える向きもある。

しかし、見方によっては、トランプこそがある意味で精神のエリートであるとも言える。すなわち、オルテガの言う「大衆人」(皆と同じであることに喜びと安住を見出す人々)に反逆するべく自らの信念をぶつけ(西部邁流には、「大衆“へ”の反逆」)、ファン層を形成して、世論における一つの主流に仕上げたトランプ氏こそ、「真のエリート」であるとも言える。

繰り返しになるが、私は、トランプ大統領の政策、具体的動き方その他、トランプ的なるものについては、嫌悪感に近いものを持っているし、上述のとおり、特にその合理的損得至上主義とも言うべき在り方には、大いに問題があると感じている。カギカッコを付けずに、トランプ氏に対して「真のエリート」と書くことには正直戸惑いがある。

しかし、トランプ現象なるものが実際に大きなうねりとなっていて、それが世界を大きく揺り動かしている事実を見るにつけ、そこから何かを学ばねばならないという気もしている。

そして、そのエッセンスは、現在の日本に最も必要なこと、日本の政治家や経営者などのエリートたちに最も必要なことでもあるように感じるのだ。それは、大衆に迎合し、時代の流れを読んで、その波にうまく乗って得をしよう、ということではない。ましてや、SNSやネットをただ単に活用して、自らの露出や製品・サービスの普及を図ることでもない。