ポピュリズムという言葉は、実は、それなりに多義的であり、その出自を歴史上のどこに見るかについても、具体的な定義についても、実は多種多様な見方がある。19世紀アメリカの人民党という農民政党に起源をみるのが通例だが、人によっては、古代ギリシアや古代ローマでの動きをそう位置付けることもあったり、ヒトラー政権を典型的ポピュリストと考えたりする向きもある。実際、定義も学者によって異なる。

ファシズム的社会を経験した欧州や日本では、批判的に使われることが多いのに対し、アメリカではそれほどネガティブではない使われ方をするという割と大きなニュアンスの違いもある。ただ、大きな共通項としては、「大衆迎合的であること」ということは言えそうである。ここでは既にこの用語も使っているが、大衆迎合ということをポピュリズムの主眼におくこととする。

そのように考えた場合、トランプ氏は、大衆迎合をして大統領職を得たという感じが、私にはどうしてもしないのだ。

トランプ氏が最初の大統領選を戦った時、すなわち2016年の大統領選に、共和党内の候補者として最初にノミネートされた際(2015年)、同氏は文字通り泡沫候補に過ぎなかったし、その時点で氏の勝利を予想する専門家は皆無であった。当時は、共和党の大統領候補としてのブッシュJr氏の出馬もあって、すわ、ブッシュ王国が三代にわたって続くのか、などと言われていたくらいだ。

それが、瞬く間に共和党内の争いを勝ち抜いて大統領候補となるわけだが、その後の2016年の世論調査を見ると、ほぼ一貫して、民主党の大統領候補者であったヒラリー・クリントン氏の支持率を下回っている。にも関わらず、最終的には、獲得票数ではヒラリー・クリントン氏を下回ったものの選挙人獲得数で上回って、見事に大統領に就任することとなった。

どちらかというと、当時の社会を覆っていた価値観は、大統領であったバラク・オバマ氏的な在り方を体現していたもので、すなわち、人権を大事にし(オバマ氏は黒人初の大統領)、環境を重視し、次世代を考えるというものであった。文字通り、そうした考え方がポピュラーであったため、大衆に迎合する観点からは、トランプ氏の主張の真逆を徹底することこそがポピュリズムであったかと思う。