それでもなお、これまでのトランプ氏の動きを見て強く感じることは、「トランプ氏は、大統領職に就いて本当に良く働いている」ということだ。その勤務実態の詳細は不明だが、あれだけの決断を各分野でしているわけで、つい先日も訪米したフィンランドの大統領とゴルフに興じたりしているものの、実はかなりの過密スケジュールだと思われる。
浮き沈みは色々とあったにせよ、ビジネスマンとして成功したトランプ氏にとって、フロリダの大邸宅であるマール・アラーゴで趣味のゴルフ三昧の生活を送るのではなく、老境に至って過酷な大統領選を勝ち抜き、給料的には名誉職とも言うべき大統領を務めることは、かなりの自己犠牲を伴う行為であるといえよう。自らの楽しい余生を犠牲にして、真にアメリカの伝統的保守層、更にいえば、白人の中低所得者層を救うべく立ち上がった救世主、利他の精神の持ち主にも見える。
そして何より重要なことは、トランプ氏はポピュリズムの体現者ではない、ということだ。こう書くと、意外に思われるかもしれないが、その点について少し解説を加えたい。トランプ氏は大衆迎合のポピュリストではない、という論に対してすぐに浮かぶ反論は次のようなものであろう。
「トランプ氏は、合理的に損得を冷徹に計算して“大衆迎合”を効率的・効果的に行い、見事に熱狂的支持を獲得し、多数の票を集めて大統領となり、そして、大衆迎合的な政策、特に移民の排除やインフレ打破も見据えた連邦政府へ支出大幅減などを実現しているのではないのか。既存エリートに大ナタを振るえば振るうほど、大衆人気が上がることを理解している。つまり、世論との間での“ディール”を非常にうまくやり、合理的損得主義の下、見事に「得」をした成功者である。これをポピュリズムと言わずして、何をポピュリズムと言うのか」と。
確かにそうした面、合理的に大衆の支持を得て、大いに得をしたポピュリストとしてのトランプ大統領という定義・位置づけも可能であろう。ただ、結論としては、私は、トランプ氏は、大衆迎合者・ポピュリストであるとは言えないと考えている。