最上階に高欄が回らされているのも、豊臣風で、展望台としても人気があり、内部は本格的な博物館になっている。清楚にして華麗な「ええとこ取り」でいいものなので、その後の、復元天守閣ブームで規範のようになった。昭和の名建築といえる。
江戸城は、関東の地理を部下に研究させた豊臣秀吉が、当時は利根川本流だった隅田川の河口の近くに北西から台地が延びていた先端部の江戸が、大阪に似た地形だからと徳川家康に命じて関東の中心にしたものだ。
当時は神田川が飯田橋から、日本橋川(平河)のルートで東京湾に注いでいたのである。御茶ノ水と飯田橋の間の神田川は、家康が駿河台を削り取って開削したものだ。