テピダリウムやカルダリウムで体を温めて毛穴を広げた後にフリギダリウムで汗腺を閉じるという入浴法が一般的であり、現在のサウナに近い入浴法を取っていました。

カルダリウム、浴室内は高温多湿であった
カルダリウム、浴室内は高温多湿であった / credit:Wikimedia Commons

しかし、テルマエの真骨頂は風呂だけではありません。

その周囲には庭園が広がり、図書室があり、運動場までも備えられていたのです。

ローマ市民たちはここで本を読み、体を鍛え、友と語らい、時には哲学論争すら繰り広げます。

テルマエとは、まさしく「知」と「肉体」が交差する場でした。

かくして、古代ローマのテルマエは、ただの風呂ではなく、一つの小宇宙であったのです。

古代ローマでも入浴が健康法と結び付けられていた

ケルルス、『医学論』の執筆で知られている
ケルルス、『医学論』の執筆で知られている / credit:Wikimedia Commons

しかしながら、彼らが入浴を単なる娯楽や社交の場と見なしていたわけではないという点については、まだ十分に語られていないように思われます。

なにせ、ローマ人は湯に浸かることを一種の健康法とすら考え、医学者たちがこぞってその効能を論じていたからです。

たとえば、ギリシアの医学をローマにもたらし、当時の名士たちに絶大な人気を誇った紀元前1世紀の名医アスクレピアデスは穏やかな運動、適度な食事と並んで入浴を推奨していました

彼によれば、病気とは体内の原子の動きが乱れることによって生じるものであり、適切な温度の湯に浸かることが、その運動を正常に戻す鍵だといいます。

これはいわば、テルマエを巨大な治療院と見なす理論でした。

ローマの歴史にその名を刻む医者はアスクレピアデスだけではありません。

後1世紀、百科全書的な医学書『医学論』を著したケルススもまた、入浴の効能を高く評価していました。

彼によれば、入浴は単なる体の清潔を保つ行為ではなく、発汗を促し、毒素を排出し、消化を助け、筋肉の疲れを癒す万能の健康法であるといいます。