それが、この年に金日成主席の招へいを受けて訪朝し、多額の献金や工場建設を約束し、「打倒北朝鮮」から北朝鮮の「高麗連邦構想」に則った南北統一支持に転じた。これに資金が必要になり、日本で霊感商法や集団家婚式が社会的糾弾を受けた。
日本では文鮮明訪朝の前年に、金丸信元副総理に率いられた自民党・社会党の合同訪朝団が派遣された。金丸はマスゲームで大歓迎され、大韓航空機爆破事件を機に明らかとなっていた日本人拉致問題はスルーしたまま、有利な条件で経済協力を約束した。
ただし、「自民党」といっても、このときの事務総長は石井一で、事務局長は武村正義、フォローアップのために訪朝したのは小沢一郎と、いずれものちに野党に転じた。
92年にソウルで行われた合同結婚式には歌手の桜田淳子らが参加して話題になったが、これに先立って文鮮明が最後の来日をした。米国での服役でビザが出ないはずだったが、金丸がゴリ押しして上陸特別許可が与えた。ところが、金丸は「東京佐川急便事件」で5億円もの闇献金が発覚して失脚してしまい、金丸一派と文鮮明の連携は吹っ飛んでしまった。
この来日でやはり文鮮明と会談したのが中曽根康弘元首相である。88年に発覚したリクルート事件で関与が疑われ自民党を離党、無所属で90年の総選挙に臨んだ。落選危機だったが、教団から運動員として派遣されて当選した。中曽根は合同結婚式に祝辞を送り、そののちも濃密な関係を続けた。
また、選挙制度改革をめぐる対立から、宮沢内閣は不信任され、これに同調した小沢一郎らは離党し、非自民連立の細川護熙政権が誕生する。しかし、小沢と対立して閣外に出た武村正義(官房長官、新党さきがけ)は、自民・社会・新党さきがけの連立による村山富市政権を成立させた。
一方、オウム真理教については、89年の坂本弁護士一家殺害事件から疑惑が拡大していたが、94年に起きた松本サリン事件を経て、95年の地下鉄サリン事件で馬脚を現した。この騒ぎと前章で説明した創価学会・公明党への批判が、「自社さ政権」の主要関心事項となり、統一教会はマスコミでも取り上げられなくなった。