PKKは後に独立したクルド国家の設立という当初の目標を放棄し、トルコ国内でのクルド人の政治的・文化的権利の確立を目指すようになった。オジャラン氏のクルド人社会における影響力は依然として強く、PKKの数千人の戦闘員だけでなく、イラク北部のクルド地域に潜むPKK司令官や、ヨーロッパで亡命中のPKKの政治指導者たちも、依然としてオジャラン氏を最高指導者として認めている

PKKは過去に何度も停戦を宣言したが、長くは続かなかった。2013年3月21日、オジャラン氏はネウロズに際し、PKKに武装解除を呼びかけた。当時、プロクルド政党HDP(現在のDEM)の議員がエルドアン政権と交渉を開始した。オジャラン氏は、1,500~2,000人のPKK戦闘員をトルコから撤退させ、和平プロセスを進めるよう求めた。これは本格的な停戦の第一歩だったが、2015年にシリア国境付近でのクルド人標的に対する致命的な攻撃を受けて停戦は破綻した。

停戦崩壊後、トルコ軍はPKKの拠点に対する空爆を強化し、トルコ南東部で激しい戦闘が発生した。その結果、PKK戦闘員はイラク北部やシリアへ撤退した。トルコ軍はシリア北部に「安全地帯」を設置し、国際的な批判を受けた。2024年12月、トルコ政府はこの地域に16,000~18,000人の兵士を駐留させていると認めた。

クルド人社会には複数の国にまたがる武装組織が存在し、必ずしも一枚岩ではない。シリアのクルド民兵組織「シリア民主軍(SDF)」の最高司令官マズルム・アブディ氏は「我々とは無関係だが、もしこのプロセスが成功すれば、我々にとっても良い影響をもたらすだろう。PKKの解散が実現すれば、トルコがPKK掃討を口実にシリア領内を攻撃することができなくなるからだ」という。

シリア北部では、SDFの主要勢力であるクルド民兵組織「人民防衛隊(YPG)」が広範囲を支配している。トルコ政府はYPGをPKKの分派と見なし、テロ組織と位置づけている。これまでトルコは、シリアのアサド政権の弱体化に伴い、YPGに対する軍事作戦を強化。反政府勢力の支援を受けながら、シリア北部の国境地帯を実効支配している。