クルディスタン労働者党(PKK)指導者アブドゥッラー・オジャラン氏(75)は、PKKに対し武装解除と解散を求め、トルコとの武力闘争を終結するよう呼びかけた。プロクルド政党「DEM」が27日、イスタンブールでオジャラン氏が書いた手紙を引用する形で発表した。オジャラン氏は、1999年からイスタンブール南方のイムラル島にある刑務所に収監されている。

PKK指導者アブドゥッラー・オジャラン氏(1997年)、ウィキぺディアから
オジャラン氏は1978年、トルコ南東部ディヤルバクル県でPKKを設立し、マルクス主義の影響を受けた組織として活動を開始した。PKKはトルコ、EU、米国によってテロ組織に指定されている。PKKの当初の目的は、トルコで抑圧されていたクルド人のために社会主義クルド国家を建設することだった。クルド人は世界で3,000万人以上いる最大の国家を持たない民族の一つであり、トルコのほか、シリア、イラク、イランにも居住している。
クルド人の主要宗派はイスラム教スンニ派だが、それぞれ独自の民族的気質を有し、その政治信条も異なる。フランスにはトルコ系のクルド人が多数住んでいるが、音楽の都ウィーンにはトルコ系だけではなく、シリア系、イラク系などのクルド・コミュニテイが存在する。彼らはクルド系民族の国家建設を願っているが、その方法論、手段などで異なっており、時には対立して身内紛争を起こしてきた。
1980年のトルコ軍事クーデターにより、PKKとオジャラン氏はシリアやレバノンへ亡命を余儀なくされた。その後、1984年にオジャラン氏は武装闘争を開始し、ゲリラ戦術を用いてトルコ国内およびイラク・シリア北部で活動を展開した。この戦闘の結果、PKK戦闘員とトルコ軍の間で暴力の連鎖が続き、多くの民間人を含む数万人が犠牲となった。ケニアで亡命中だったオジャラン氏が1999年、トルコの諜報機関に逮捕され、トルコへ移送された。彼は死刑判決を受けたが、その後の死刑制度廃止により無期懲役に減刑され、イムラル島の刑務所で服役を続けている。