かつて沖縄返還交渉では、「糸を売って縄を買う」、つまり、沖縄を返してもらうために繊維産業をアメリカに売ったと揶揄された。それに対してウルグアイ・ラウンドでは、「産業を売って米を買う」、つまり、国際価格の数倍から10倍の米を食べ続けるために、自動車や半導体産業を犠牲にしたわけである。

馬鹿馬鹿しい話だが、私もパリで同じく政治的に農業を守らなければならないフランスの官僚と、互いの農業に不利な協定が成立することを遅らせるために、あれやこれや工作していたのである。

余談だが、このころ、米国大使館はフランスの動きを封じようとして、フランスの高官に女性スパイを近づけて、文字通り金とセックスで籠絡しようとして通報され(フランスの官僚はそういう誘いを受けた時は公安に通報する義務がある)、国外追放された。

米の自給を守るためだから何が悪いという人もいるだろうが、日本の農業でも、もうすこし国際競争にさらしたら、国際価格の2倍程度で米作りはできると思うのであって、過保護が日本の農業をダメにしたのだと思う。

減反政策は、これをとらなかったら、財政赤字のみならず、米そのものが大量に余り、もしそれを輸出などしても国際価格との差が大きいので大赤字になり、また、米の輸出国から不正だと批判されることになるので、結局、せっかく作った米を廃棄するしかなくなったはずで、それを避けるために、緊急避難として採用されたもので、この制度を批判するのは馬鹿げている。

現在では、上記の輸入抑制策で輸入は厳しく抑えられる一方、国内の取引はほぼ自由化され、品質によって大きな価格差が出ている。

また、他作物の優遇はある程度は行われて米の増産は抑えられているが、それでも、輸入障壁で手厚く守られているから、基本的には米余りである。

ところが、このような閉鎖的な市場であり、しかも、日本人の好むジャポニカという米は海外での生産は限られており、緊急輸入することもほとんどできない。そこで、1993年の東北地方の冷害のときには、米がないという騒動が起きた。