この層がグヌン・パダン遺跡の最も古い部分に相当し、少なくとも紀元前1万4000年、最大だと紀元前2万5000年に建造されたと推定されています。

要するに、グヌン・パダン遺跡は一度に建造されたものではなく、数千年にわたってリレー形式に増築されていったと考えられるのです。
特に基部にあたるユニット4は、人の手で作られた最も古い巨石建造物である可能性があります。
例えば、古代エジプトにある最古のピラミッドは、第3王朝(紀元前2686〜2613年頃)の第2代ファラオ・ジェセル王の命で作られたものですが、それでも4600年ほど前ですからユニット4には遠く及びません。

加えて、世界最古の巨石遺構として有名なトルコの「ギョベクリ・テペ」でさえ、約1万2000年前のものと推定されています。
これは人類が農業を開始した時期に相当していますが、それを踏まえると、グヌン・パダン遺跡は農業が始まっていなかった時期に、人類がすでに高度な建築技術を持っていたことを示唆するものです。
その建設時期は、およそ7万〜1万年前まで続いた最終氷期の終わり頃にあたると考えられます。

誰が何のために作ったのか?
一方で、グヌン・パダン遺跡を作ったのがどんな人々で、なぜ建造を始めたのかはまだ解明されていません。
しかし、グヌン・パダンとは現地の言葉で「悟りの山」 を意味しており、歴史を通じて何らかの宗教儀式に使われた可能性が高いと見られています。
研究主任のダニー・ヒルマン・ナタウィジャヤ(Danny Hilman Natawidjaja)氏は「グヌン・パダンが古代の人々によって継続的に占領され増築を繰り返された事実は、この場所が宗教的に重要な意味を持っていたことを示しているでしょう」と述べています。