Appeal to envy
論敵への羨望心を根拠に論者/論敵の言説を肯定/否定する
<説明>
「羨望心に訴える論証」とは、論者が論敵への【羨望 envy】を根拠にして、自分の言説を無批判に肯定する、あるいは論敵の言説を無批判に否定するものです。
「羨望」とは、自分が求める利益を他者が得ている場合に発生するうらやみの感情であり、他者が不当に利益を得ている場合のみならず、正当に利益を得ている場合にも発生します。
まず、正当に利益を得ている他者をうらやんで発生するのが、自分に対する【不全感 inadequacy】【無力感 helplessness】といった負の感情です。これらの感情は、他者ではなく自分に向かうので「羨望に訴える論証」に利用されることはありません。
一方、正当に利益を得ていない他者をうらやんで発生するのが、他者に対する【不快 displeasant】【怒り anger】【不満 dissatisfaction】【恨み resentment】【嫌悪 disgust】【憎悪 hate】といった負の感情です。これらの感情は「羨望に訴える論証」に利用されます。正当に利益を得ていない論者に対して負の感情をもつのは合理的ですが、そのことと論者の言説の真偽は無関係です。
ここで最も悪質でありがちなのが、正当に利益を得ている論者に対して、あたかも不当に利益を得ているかのように偽って「羨望に訴える論証」を展開することです。
なお、【嫉妬 jealous】は【競争相手 rival】に対して抱く羨望を意味します。
論者Aの論敵Bは羨望心を抱く存在である。 ゆえに論者Aの言説は正しく、論敵Bの言説は誤りである。
<例1>
上流階級には庶民の気持ちなんかわからない。
ありがちな羨望心に訴える論証です。この誤謬は、しばしば【軽率な概括 hasty generalization】と併用されます。「上流階級」という存在に羨望心を抱き、乱暴に結論を導いています。