ところがそれは「平時」の話で、令和に入ってはっきりしたのは、「戦時」となると日本人はむしろ、その人にとっての正しい主張しか目に入らない「よいエコーチェンバー」を熱望するという事実だった。コロナで言えば、

マスクが無意味なんて話は、聞きたくないッ! 自粛がムダなはずなんてない! 外食する自由なんてどうでもいい、時代遅れなオールドノーマルは要らない! ワクチンという究極兵器がコロナ禍を終わらせるんだ、副作用なんてあるわけないッ!

うおおお専門家の西浦博先生を支持、尾身茂先生を応援ッ! 先生方を批判するやつらをメディアに出すな、うおおお、うおおお、うおおおお!!

みたいな話だ。で、これを「支援がムダなはずなんて…」「異論を唱える自由なんて…」「平和主義はオールドノーマル…」「F16戦闘機の大量供与が…」云々に置き換え、センモンカの箇所も適切な人名に替えれば、そのままウクライナ戦争に当てはまるわけである。

大東亜戦争とコロナワクチン: 歴史学者たちの「責任」|Yonaha Jun
今週発売の『文藝春秋』5月号も、表紙に刷られる目玉記事3選の1つが「コロナワクチン後遺症 疑問に答える」。この問題は当面、収まりそうにないし、またうやむやにしてはならない。 及ばずながら前回のnote では、日本で接種が始まった2021年以降、僕がコロナワクチンについてどう発言してきたかの一覧を掲載した。こうした試み...

私たちの社会がそうした状態にあることは、いつ比喩ではない戦時が訪れるかもしれない現在、非常に危険だ。国民が丸ごとエコーチェンバーに溺れるリスクを、日本という国は常に、潜在的に抱えていると見た方がよい。

3/20発売の『Wedge』4月号の特集は、「民主主義がSNSに呑まれる日」。私の寄稿から、上記の問題をえぐる箇所を引こう(東海道新幹線のグリーン車で無料配布中のほか、むろん書店で買えます)。

2025年4月号 民主主義が SNSに呑まれる日 Wedge(ウェッジ)
「超選挙イヤー」の2024年。日本でも東京都知事選や衆院選、兵庫県知事選があった。一連の選挙で〝主役〟のように存在感を高めたのが、「SNS」だ。刺激的な情報や分かりやすい「言葉」に翻弄された有権者も少なくなかっただろう。日本の民主主義は今、押し寄せるSNSの荒波に呑み込まれようとしている。だが、問題をそのことだけに矮小...