あとは準加盟で、EUのなかで決定に参加させるのはEUの自滅につながると強く警告していた。
とくにポーランドだけは入れるべきでないと思った。ポーランドの非合理的な感情論と全員一致主義で結論がなかなか出ない不可解な意思決定システム、ロシアやドイツへの極端な敵意はEUにとって時限爆弾になると思ったからだ。
しかし、結局は、欧州統合の深化と共通通貨をフランスの案で進めるかわりに、ドイツの要求(米国の希望でもある)のとおりEUは東欧へ拡大していった。
1993年6月には、中・東欧諸国やキプロスとマルタを含む拡大原則が合意され、1995年、フィンランド、スウェーデン、オーストリアが、2004年には、キプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニアが加盟した。
NATOについても、1999年にポーランド、ハンガリー、チェコ共和国が、2004ブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニアが加盟した。

濃い青色がNATO加盟国 Wikipediaより
これはプーチン政権の初期で、ロシアとEUの関係は良好で、プーチンはNATO加盟の可能性まで言っていた。ところが、だんだんプーチンの成功とロシアの国威復活が明らかになると、NATOもEUも反ロシア同盟の色彩を深め、さらには、ウクライナやジョージアでも加盟論がでてきた。
つまり、NATOやEUがロシア国境まで包含するが、ロシアは入れないというのである。こんなものをロシアが容認できるはずがない。アジアではTPPでも中国に門を閉ざしてないのだから大違いだ。
しかも、ウクライナやバルト三国におけるロシア系住民への差別や、リトアニア・ポーランド国境で飛び地になっている東プロイセンへの圧力などもロシアを怒らせた。また、ウクライナのヤヌコビッチ大統領がクリミア半島の軍港の租借を延ばしたらクーデターで倒された。