駅での出来事と香港人の反応を、横浜中華街のインテリ男性に伝えると、彼は「中国に行くと疲れる。若い頃は、これが中国人のバイタリティと思っていたが、まったく別物とわかった」と言った。
さらにインテリ男性は、「私たちは、法治主義や議会制民主主義を取り入れたほうが誰にとっても楽だと気付いた。日常生活でも、ルールを守るほうが誰にとっても楽だと気付いた。西欧化は白人に押し付けられたものではなく、私たちが選び取ったのだ」と持論を展開した。列への割り込みでは、割り込んで得をする以上に割り込まれて損をする機会のほうが多いだろうし、時には私のように殴られたりするかもしれないうえに、いつも割り込みに警戒しなくてはいけなくなる。
また、「ルールの隙間を掻い潜るのが当たり前な社会は、神経ばかり使い無用な労力が増える煩わしい社会だが、こういった面倒くささが生きる手応えだと感じる人たちがいる。二番煎じでも、自分が発明した方法と信じ込んでいるなら、なおさら手応えになる」とも言った。
米の大量確保と転売が中国人に限ったものではないとしても、20年以上前の言葉とは思えない説得力がある。すべての中国人がルールの隙間を掻い潜る面倒くささを生きる手応えにしているわけではないものの、中国が香港のようにならなかったのは間違いない。中国が香港化するどころか、香港が中国化を強いられ自由を奪われたのだ。
香港人の嘆き
前出の香港人は、数年前に家族揃って香港を出国してカナダに移住した。子供が学校で習近平を讃える歌を合唱したり、民主化を訴えた若者が投獄される不気味な世界になっただけでなく、今まで香港には無かった中国的な無用な労力ばかりが増えたためだという。中国による政治的な侵略ではあるが、文化的な侵略が彼の生活を圧迫したのだ。
この香港人の家族について説明しておこうと思う。
香港は深圳から飛び出した半島と、その先にある香港島といくつかの島でできている。家族の父親は大学生のとき文化大革命の混乱に危機感を覚え、下放政策で地方へ移住させられそうになって、ひそかに広東省を陸路で移動して香港に越境した。母親は貧しい階層の娘だったが、やはり同時期の共産党のやり方が何もかも好きになれず、漁師が使う浮き玉を体に結びつけて海を渡って香港に上陸した。