ちなみに平均値ではなく中央値だと「10万円」だそうだ。このくらいがよほど「みんなに当てはまる平均値」の実態に近いだろう。

「普通」はその人の願望

「あなたが言う「普通」とはあなたの「理想」の事である」という過去記事で書いた通り、「普通は~、平均は~」というのは必ず、その話者の希望がそこには込められているのだ。

SNSを見ると、あたかも優秀な人が世の中にうじゃうじゃいるように見えてしまうが、実際には超上振れの外れ値が強い影響力を行使して高いエンゲージメントを獲得しているだけに過ぎない。

また、SNSだけでなく場所や環境にも注意が必要だ。特に東京山手線内側は優秀な人が全国から集積する環境であるため、平均値は著しく押し上げられる。

筆者がサラリーマンの時は「第一言語が英語、日本人とだけ集まったときだけ日本語」「アメリカ、イギリスの大学卒が普通」という感じだったので、「今の世の中、みんな英語ができる」いった誤った感覚があった。だが、実際にはそうでないことは統計を見れば明らかである。

「自分にとっての普通」を押し付けない

SNSは極端な外れ値が集まっているので、「年収1000万円でも貧乏」「資産1億円では大した贅沢はできない」とのたまう御高説をよく見る。そのこと自体、そのような立場を享受する人からは正論なのだが、実際にはほとんどの人には当てはまらない。東京港区で年収1000万は普通以下だが、地方では神のような存在になるからだ。

そして外れ値側の人間も必ずしも、メタ認知能力がある人ばかりではない。「年収や資産がこのくらいあるのが普通、平均では?」と自分と自分の周囲の感覚を一般化して発言することで、無用な炎上やヘイトを招くリスクがある。

若いビジネスマンや投資家はその辺の感覚もしっかり持っている傾向があり、「自分の感覚は普通ではない。無編集で表に出すことは自分にとってデメリットしかない」とメタ認知をして、「パブリック用の発言」に切り替える柔軟さを持っている。