思うに、人が精神的な年を取るには「きっかけ」が必要なのだと思う。平社員から係長や課長へ昇進して、次々とマネジメントする部下の数が増えて責任の範囲が拡大する人と、一生平社員で同じ仕事をする人とではどうやっても精神年齢の年のとり方に差が出てくる。

これは後者の立場にいる人たちを下に見てバカにしているのではなく、魂や意識は年を取らないので、きっかけがないと必然的に誰しもそうなるという話なのだ。

筆者が「すっかりオジサンになったな」と感じる最大のきっかけは、子供を持ち、学校へ行くようになってからだ。

同じくらいの年代の親はどうみても中年なので、「自分も同じ中年カテゴリなのだな」と受け入れることになる。さらに子どもたちからは「おじさーん!これ見てー!」などとよく呼ばれるので、「よーし、おじさん今いくよー!」と受け答えする内に、子供たちの前では、自然と「おじさん」という一人称を使うようになった

この事例においても環境変化がきっかけで、社会的、客観的に自分がどう見えているか?という事実をありのまま理解することにより、精神年齢と社会的な年齢を一致させることに成功したと考えている。

仮に自分がずっと一人でサラリーマンを続けていたら、30代、40代になっても「社会的に見て、自分はまだまだ若い」みたいにズレた認識をしていた可能性もある。以上のことから精神的に幼い人は、おそらく年を取るきっかけがないまま年齢を重ねたのではないか?という仮説を立てることができる。

精神年齢を成熟させるには?

よく「痛い人」という表現がある。筆者はこの言葉を、「社会的な立場と精神的な振る舞いのギャップが大きい状態」と捉えている。

例えば、40代のビジネスマンであれば、社会的には「経験を積み、落ち着いて物事を判断しながら、周囲と協調して働く」ことが期待される。しかし、実際の言動がその期待と大きくかけ離れており、ちょっとした想定外で大騒ぎして焦る姿を見せると、「いい年なんだから落ち着いたらどうか?」と感じられることがある。