江戸の夏、暑さに喘ぐ日々の中、ひと際涼しげに現れるのが「水菓子」と呼ばれるスイカです。
現代の甘美な果実とは違い、江戸のスイカは水菓子の名の通り、まるで冷水に溶け込むかのような清涼感を秘めつつも、実はその甘さに欠けていたのです。
そのため現在のようにスイカの甘さを引き立てるために塩をかけて食べるということはなく、逆に甘味を付け足すため砂糖と共に味わわれることもしばしばあったとか。
大皿に盛られた涼しげな切り口のスイカ、その横に隣り合わせる六角形のマクワウリ、さらには葉の影を巧みに映し出すビワの果実。
これらの果物は、ただの食材にあらず、夏の暑さを忘れさせる涼しげな詩情そのものとして、江戸の人々に愛されたのです。
中でも、冷し物と称された一皿の「水の物」は、切り揃えられた果実が冷水に浮かぶ様子を、まるで幻想的な水墨画の一コマのように映し出し、見る者の心に涼風を運んだといいます。
江戸の町人たちは、暑さをしのぐためだけでなく、その見事な盛り付けとともに、夏の夢を一口ごとに味わったのでしょう。
小さくて酸っぱかった江戸時代の桃

一方、江戸時代の桃はまた別の顔を持っていました。
江戸末期から明治初頭にかけて栽培された在来種の桃は、現代でお馴染みの水蜜桃とはまるで別物。
果実の重さはわずか20~75グラム、まるでビワの実のような小ぶりなもので、肉質は堅く、酸味が際立つという、いわば「素朴な桃」ともいえる存在でした。
1915年発行の恩田徹彌の『果樹栽培史』によれば、これら在来種は、欧米や中国から輸入された華やかな桃に比べると、品質面で劣るとの評価がなされているのです。
しかも、宮崎安貞の『農業全書』(1697年発行)に記された桃の栽培法や品種の紹介は、すでに江戸の人々が桃という果実に、単なる点心以上の意味を見出していたことを物語っています。