■明菜さんの手記(2021年)

 間もなく東日本大震災から10年目になりますね。今もまだあの光景はハッキリ目に焼き付いてます。あの日、私は秋田に着いて直ぐの地震でした。震源地は太平洋……大津波警報……震度7……などの目を疑いたくなる報道でした。

 パニックになりながら、ひたすら彼(婚約者)に電話をかけ続けました。もちろん、電話は不通……。

 直ぐに荷物をまとめて身内と一緒に向かいました。ただ……彼がいる地域までは車で行けず、その後は歩いて向かいました。津波の水がまだ引かない街中を、ひたすら歩きました。

 途中、沢山のご遺体も見ました。息を引き取る方も見ました。手や足が変な方向に向いてる方や……瓦礫が身体に刺さっている方など……。今も思い出す度に涙が出ます。

 私は、ただ……手を握り必死に励ますしか出来なかった。頑張って! 死なないで……って言葉しか、かけられなかった。皆が必死で……苦しんでる人が居ても、呆然と歩く人しかいませんでした。

 やっと避難所に着いた時には、凄く沢山の方が避難されていました。壁などにも張り紙がされていたり、メッセージが貼られたりしていましたが、私の家族はいませんでした。

 沢山の避難所を周り……やっと友達に偶然会うことができました。泣きながら抱き合い……。友達は泣きながら、私に話し始めました。彼の車がある場所(のこと)でした。その時直ぐに、私は察しました。

 彼の車は、流された家の屋根の上に重なる形で止まっていました。何とか車まで這い上がり確認したら……亡くなっていました。

 体育館には沢山のご遺体……。毎日運ばれてくるご遺体ばかりでした。隣に並べられたご遺体の家族の方が、私達はまだ幸せだよ! 会えただけでも感謝だよ! って話されていました。手も足もついてるんだから!って。他の方は手が無かったり、足が無かったりしていた方もいたそうです。

東日本大震災の津波で婚約者と娘を失った「見える女性」が壮絶体験を告白!当事者が明かす地震直後に“絶対してはいけない”行動4つ
(画像=画像は「Wikipedia」より,『TOCANA』より 引用)

 津波は地震と一緒にすぐ来る津波と、時間を空けてからくる津波があります。東日本大震災では逃げる時間がありました。なのに沢山の命が奪われた……。それは間違った判断と行動があったからです。

ここまで波が来た時は無いから大丈夫!
津波がなかなか来ないから自宅に戻る……!
家族が心配だから沿岸に向かう……!

など沢山の間違いが多くの命を奪いました。

 車での避難もそうです。渋滞になり、逃げ遅れて犠牲になった方……。東日本大震災では、沢山のお年寄りの方が亡くなりました。一度は避難所に来たのに、またご自宅に戻って亡くなった方もいます。長年の経験が影響した間違った判断でした。

 誰もあんな津波が襲ってくるとは思っていなかった……。自然は今までの経験以上の事を起こします。今までは大丈夫だったから、ではなく「もし」を考えた行動をお願いしたいです。

 今を生きる私たちは、沢山の事を学び生きていかないといけないと思います。だから私は、ブログでしつこく注意を呼びかけています。備蓄や正しい判断の大切さを書いてます。私が東日本大震災から学んだ事は、「今までの経験は関係ない!」という事です。

 そして何よりも、一日一日を後悔なく生きることの大切さも学びました。私のブログでは、最後に書く言葉があります。「今日も明るく楽しく笑顔で!」という言葉です。私は、あの日見た家族が最後になりました。もっと毎日を楽しく過ごしてれば良かった……と後悔しました。

 私はこの10年間、申し訳ない気持ちで過ごしてきました。自分だけが幸せになってはダメだ!そう自分に言い聞かせて10年間過ごしました。

 けど、10年目の今、私は新たな人生を進むのも良いかな?と思い始めました。生きたくても生きることができなかった人の分まで、自分が幸せにならないと! そう思うようになりました。

 東日本大震災は、この先も忘れません。私達に教えてくれた事を大切に、この先も生きていきたいと思います。最後に、まだご家族の元に帰れない方が一日も早く見つかり、帰れますように祈ります。