東日本大震災の津波で婚約者と娘を亡くした女性がいる。「見える女性」の一人として過去に何度か紹介したことのある、秋田県の明菜さん(仮名)で、今回初めて大震災の時の壮絶な体験を手記としてまとめてくれた。どうすれば津波の被害を抑えることができるのか、実に示唆に富む内容となっており、彼女の体験から学ぶべきことも多いはずだ。
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■亡き家族と夢で会う女性
2011年3月11日14時16分に三陸沖で発生したM9.0の東北地方太平洋沖地震は、国内で起きた地震の正式な記録としては初となるM9クラスの地震だった。やがて「東日本大震災」と呼ばれるようになったこの地震・津波による大災害では、派生した火災なども含め、東北地方を中心に12都道県で2万2000人余の死者・行方不明者が発生した。明治時代以降の国内の地震被害としては、関東大震災、明治三陸地震に次ぐ被害規模である。
筆者が明菜さんから初めてメールをもらったのは、2019年3月7日。大震災から8年が経とうかという時だった。明菜さんによると、大震災で悲惨な体験をした後、亡き家族が夢で未来に起きることを知らせてくるようになったという。
現在、テレビ各局では例年震災特別番組を組むなど、改めて震災の恐ろしさを伝える試みが行われている。今回、筆者は津波の恐ろしさを人々にしっかりと思い出してもらうために、明菜さんの体験を紹介したいと依頼したところ、快諾してくれた。
地震発生の当日、明菜さんは当時住んでいた岩手県から実家がある秋田県まで移動していた。以下に、その手記の抜粋を紹介する。