NHK大河ドラマ『べらぼう』の視聴率が10%を切ったらしい。遊郭・吉原を舞台に、現代ドラマでもありえないほど露骨に色街の生業を描いており、子どもたちに説明するのも難しい内容だ。

このドラマの主人公は、喜多川歌麿や東洲斎写楽を売り出したことで知られる出版業者・蔦谷重三郎である。書店チェーンのTSUTAYAは大阪府枚方市発祥で関係ないが、創業後に江戸の快男児・蔦谷重三郎の存在を知ったらしい。

しかし、吉原遊郭の人々だけでは大河ドラマらしくならないため、重三郎が活躍した時代に幕閣の実力者だった田沼意次(老中格・老中 1769~1786年)や、そのライバルである松平定信(老中 1787~1793年)を登場させ、彼らの経済政策も紹介している。

そこで、ダイヤモンド・オンラインの記事で田沼意次の経済政策について論じたので、その概要と補足を紹介したい。

田沼の生い立ちについては、ダイヤモンドの記事をご参照いただきたい。

田沼意次の肖像画Wikipediaより

徳川吉宗は、稲作から得る年貢に依存する家康以来の税制を維持する方針で努力した。紀州時代には新田開発による米の増産で成果を上げたが、将軍として同じことを行うと米価が下がり、財政が悪化した。

この時代、商品作物の作付けは増え、産業も発展したが、そこから適切に税収を確保できなかった。つまり、税の国民負担率は下がる一方で、武士も民間の生活に倣って贅沢になり、財政の逼迫が進んだ。

田沼は、吉宗の政策の限界を間近で見ており、また郡上騒動(美濃)を担当した経験から、無理な年貢の取り立てが農村を疲弊させ、一揆を招いたことを理解していた。そのため、賢明にも米以外の財源を求めた。