これは当時の二次元の図像が彫刻の参考資料として流布していたために、同じモチーフが再現されてしまった結果といえるでしょう。
では、文献史料の中に「羊」として記録された動物はどうでしょうか。
14世紀までの例では、比喩表現としての「羊」が見られる一方、実際に生息していた羊の記録は非常に少なく、その多くがヤギであったと推測されます。
これにより、図像や彫刻に描かれた「羊」がヤギとして造形された背景には、中世の動物学的な誤解が影響していたことがわかります。
こうした中世の誤解や混同が次第に修正されるのは近世以降のことです。
江戸後期になると、中国から輸入された博物学や本草学の影響で、ようやく「羊」と「山羊」の区別が正確になされるようになりました。
明治時代には、学校教育を通じて正しい知識が普及し、日本における動物学的な基盤が整えられていきました。
中世の未像や仏画を紐解くとき、そこには人々が見ていた世界と、信仰の中で受け入れられていた動物の姿が入り混じっています。
その曖昧さこそが、時代を超えた造形美を生む土壌となり、後世に思索の種を蒔いているのです。
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参考文献
橿原考古学研究所 | 紀要『考古学論攷』第41号~/奈良時代のヒツジの造形と日本史上の羊(PDF))
https://www.kashikoken.jp/under_construction/wp-content/uploads/2018/08/kiyo41-hirooka.pdf
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
ナゾロジー 編集部