案の定、旧安倍派参考人聴取では(2月27日)、いったん決めた政治資金の還流を再開したことについて、松本・元会計責任者が「再開を求めた幹部がいた。幹部協議(安倍氏死去後の22年8月)で決まったという認識だ」と述べました。協議に出席した幹部4人(塩谷、下村氏ら)は「幹部協議で結論が出たとは思っていない」と、はぐらかし、誰も責任をとろうとしていません。
こうしたのらりくらりの責任回避の体質が自民党批判を強めているのであって、読売社説が「歴史的大敗で石破首相がとるべき道(退陣の意味)は明らかだ」と指摘するならば、「過半数割れの責任は旧安倍派にある」とまずいうべきでした。多党化時代をどう乗り切っていくかが課題なのです。石破氏を退陣させたところで問題は解決しないのです。
さらに、世代間の分裂、所得格差、ネット時代のもたらす価値観の多様化などによって、一党だけで余裕のある過半数は取れない時代になってきました。世代別の支持率をみると、30代では国民民主27%、自民21%(共同通信調査)と、自民は第一党を滑り落ちています。こうした世代が年齢を重ねるほど、自民党支持層は減っていくのでしょう。
欧州では、ドイツもフランスも英国も多党化です。読売の社説が主張する「石破退陣」をやっていたら、政局はさらに混乱する。石破、小泉氏が連帯責任で退陣した後、雲散霧消した安倍派が支えていた高市氏では中国との関係も悪化する。他の候補を選んだとしても、その間、政局は空白となるし、夏の参院選で自民が過半数をとれない可能性もあり、こんなタイミングで名乗りをあげる有力者は出てこないでしょう。
読売社説が強調すべきは、「第一党が過半数を取りにくい、多党化時代に入った。石破は粘り強く参院選まで乗り切れ。多党連携では、ポピュリズムに走らず、政策では財源確保を図り、経済・財政・金融を健全化しておくことが安全保障の最大の条件である」だったと思います。石破批判に筆鋒をふるうより、「多党化時代の予兆」と捉える感覚が欲しかった。