原稿を書いて社会に問えばよいだけなのに、なぜ一部のジャーナリストがマイクパフォーマンスに並々ならない情熱を傾けているのか。原稿を書く機会がないからマイクパフォーマンスをやっているなら、それはそれで彼らなりの理にかなっているのかもしれない。

望月衣塑子氏のように新聞社の社員であっても、常に紙面を飾る記事を書けるとは限らない。望月氏は官房長官の会見などでマイクパフォーマンスと説教を組み合わせて名を売ったパイオニアだが、社会部記者なので政治記事を書く担当ではない。では社会部の記者として、フジテレビの会見でパフォーマンスに費やした時間と熱意に相応しい分量の特集記事を書いたかといえば、いつも通り掲載される兆候さえない。

さらにフリージャーナリストに至っては、記事を発表できる機会があるのかさえわからない。しかし会見場で目立てば存在確認になり、もしかしたら会見後に報道機関から取材されるかもしれない。いずれも期待に過ぎないが、やらないよりやったほうがマシなのだろう。

また会見場に出かけるのが、取材をするより遥かに簡単なのも、説教ジャーナリストが増殖した一因ではないか。

いつ記事がものになるかわからない状態では、時間だけでなく経費がかかる取材はなかなかできない。たとえば東京都在住のフリージャーナリストが150キロメートル離れた静岡市で取材するなら交通費だけで往復1万数千円かかり、宿泊するならホテル代、さらに足を伸ばすなら交通費がかさむ。東京都から神奈川県を跨いだだけで、この程度の出費になるのだ。

いまどきはビデオチャットでの取材も可能だが、仕事部屋から出ないまま完結できるケースはないと言ってよい。移動を都内に限り永田町と霞が関で取材をするとしても、それなりに投資しなければ独自の情報は手に入らない。

とてもみみっちい話になってしまったが、取材費ほど塵も積もれば山となるものはなく、記事化や書籍化で回収する目処が立たないなら赤字が積み重なるばかりになる。