ですが、私たちの残念な性にも光明が見えます。近年では社会もある程度は成熟してきたようです。未だに内乱や紛争が続いている国もありますが、少なくとも日本では80年も平和な時代が続いています。世界平和は全人類の共通目標と認識されるようになり、私たちは自分たちで構築した「生きやすい環境」を享受できるはずです。
しかし、実態としてはそうではないようです。生きづらい人のほうが多いのです。特に若者の生きづらさは深刻なようで、日本を始めとした先進国のほとんどが、若者のメンタルヘルスの危機に頭を悩ませています。
なぜ、そうなるのでしょう? その理由は一つではありませんが、筆者には「この先」を描きにくい世相が影響しているように思えます。詳しくは割愛しますが、SNSなどで膨大な情報が飛び交う現代社会では、膨大な情報を持て余してこの先の物語を描けなくなっている人が多い印象があります。
「この先の物語」を描きにくい現代社会
では、この先を描けないことが、なぜ生きづらさにつながるのでしょう? それは、私たちホモ・サピエンスはこの先の物語、すなわち展望を必要とする動物だからです。
私たちホモ・サピエンスの遠いご先祖は少なくとも500万年はサバンナをさまようひ弱なサルでした。サバンナでは常に飢え死にリスク、捕食されるリスクと隣り合わせです。一箇所にとどまり続けることは死を意味します。明日はどこに向かえば生き残れるか…、そんなことを常に考え続けなければ生き残れない環境で私たちのご先祖は生き残ったのです。
その中で必死に考え続けたことでしょう。このことが、私たちの知性を伸ばし、私たちは非常に優れた展望力を持つ動物になりました。
しかし、「展望を描けない≒死」という時代を長く生き抜く中で、展望を描けないことで心は悲鳴を上げるようになったのです。展望に優れる動物になってしまった分、展望が描けない世の中では生きづらいのです。