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urbazon/iStock
生きづらさの時代
最近、「生きづらさ」という言葉を耳にする機会が増えました。ワンネス株式会社が10代から70代の方を対象に行った調査によると、52%の方が「生きづらい」と感じているようです。筆者も「若者の生きづらさ」の軽減に向けた国レベルのプロジェクト(共創の場形成支援プロジェクト)に参加していますが、この調査では若者に限らずご年配のかたも生きづらさを感じていることがわかります。
書籍マーケットでも「生きづらさ」の議論が活発です。日本に限っての統計ですが、2010年から今日までで実に200冊を越える書籍で「生きづらさ」がタイトルにされています。中には、この記事タイトルのように「生きづらさの正体」を謳っている本もあります。
これだけ本が出ているということは、それだけ多くの人が「生きづらさ」に困っている…ということです。どうやら、私たちの中には現代社会を生きづらく感じている人が少なからずいるようです。
私たちは生きやすい環境を作れるはずなのに…
私たちホモ・サピエンスは知性を蓄積できる動物です。数百万年前まではサバンナをさまようひ弱なサルでしたが、いつからか斬新な発想や技術を繰り返すようになりました。そして、誰かの斬新な何かが別の誰かに伝わり、その誰かがさらに斬新な何かに作り変え、そればまた別の誰かに伝わり…という繰り返しで文明を発展させてきました。
その結果、現在で自分たちが生きやすいように環境を変える力も持っています。もちろん、誰かが一人でその力を実装しているわけではありません。「社会」というネットワークが実装しているわけですが、山を崩し、海を埋め立て、水の流れをも作り変えて、私たちが暮らしやすい都市を建設してきました。そして、世代を重ねるごとに生きやすさをどんどんアップデートしてきました。
一つ残念だったのは、進化のプロセスの中で私たちは「オレタチ」と「アイツラ」を識別したがる脳を獲得してしまっていることです。この脳はホモ・サピエンス同士の分断を促し、無益な争いと殺し合いに私たちを駆り立てます。その結果、せっかく構築した生きやすい環境も、私たちの愚かさの中で何度となく破壊されてきました。これでは、せっかく生きやすい環境を作れる力を獲得しても生きづらくなるに決まっています。