マヤ文明は高度な知識と技術を持ち、繁栄を極めた古代文明のひとつである。その天文学的精密さは、2012年に話題となった「マヤ暦の終末説」のように、現代でも多くの議論を呼び起こしてきた。しかし、数世紀にわたる研究にもかかわらず、その文化や技術の多くは未解明のままだ。なぜ彼らの都市は突如として衰退したのか?彼らはどのようにして精密な天文学的計算を行ったのか?残された遺物には、いまだに解読されていない謎が多く残されている。
今回は、考古学者や歴史家をいまだに悩ませる、マヤ文明に関する5つの大きな謎を紹介しよう。
1. マヤ文明の衰退を引き起こした原因とは?
マヤ文明は最盛期において、広大な都市、そびえ立つピラミッド、精緻な天文学や数学の知識を有していた。しかし、8世紀から9世紀にかけて、多くの主要都市が突如として放棄される事態が発生したのだ。文明全体が完全に消滅したわけではないものの、その勢力は大きく衰退した。
考古学者たちは、この衰退を説明するためにいくつかの仮説を提唱している。
長期的な干ばつ:気候データによると、深刻な干ばつが続いたことで農業が崩壊した可能性がある
森林破壊と土壌の劣化:農業拡大や都市開発による環境破壊が、食糧生産に悪影響を及ぼしたと考えられる。
戦争と政治的混乱:要塞化された都市や大量の遺骨の発見から、争いが激化した可能性が示唆されている。
経済の変化:貿易ネットワークの崩壊により、繁栄していた都市が資源を失った可能性がある。
しかし、これらの要因が複合的に作用していた可能性は高いものの、なぜ一部の都市が崩壊し、別の都市が存続したのかについては、いまだ明確な答えは得られていない。