無論、牛乳が自然にコップへ戻るような事象が簡単に起こるわけではありません。
それは「極めて起きにくい確率的事象」だからです。
ですが、量子論の枠組みで考えれば、数式上は「過去向きの不可逆」も記述できることが示された意義は大きいといえます。
時間反転対称性は破られていなかった
「不可逆な散逸があるなら、時間を逆にできるわけがない」と感じるのは自然なことです。
事実、日常世界では牛乳が勝手にコップに戻る光景は見当たりませんから、「時間対称性よりも不可逆性のほうが優位なのだろう」と思いがちですよね。
しかし、今回明らかになったのは、不可逆性(過去に戻れないように見える現象)と、方程式のレベルでの時間反転対称性は必ずしも対立しないという事実です。
マルコフ近似を厳密に扱えば、過去向きにも未来向きにも散逸が起こりうる。
つまり「不可逆だけれど、どちらの方向にも不可逆に進める」という、一見矛盾するような状態が両立するわけです。
時の迷宮を解く鍵

今回の研究は、私たちが当然視している「一方向への時間の流れ」という物理的概念を根本から問い直す、大きなインパクトを持っています。
これまで時間の不可逆性は、「エントロピー増大が原因だ」 と語られてきましたが、実は「エントロピー増大も、どちらの時間方向でも理論上起こりうる」という含みを示しているのです。
熱力学の第二法則 ではエントロピーが増大する方向を「未来」とみなしてきました.
しかし、もしマルコフ近似の取り方次第で、過去方向にもエントロピーが増えていく描像が成立するなら、いま一度「熱力学と時間の矢」との関係を考え直す必要があるかもしれません。
もっとも、統計力学的には過去向きのエントロピー増大は非常に起こりにくいと推測されるため、日常では観測されないわけですが、理論上の否定は難しいのです。