神谷光信『村松剛 保守派の昭和精神史』82頁 (初の評伝にして、名著です)

さて、こんなことを書いてきたのは、出ている雑誌の宣伝もあるけど、もっと大事な理由がある。

「本気だったからこそ、アンチになる」の対偶は、「アンチになる人が出ないなら、誰も本気ではなかった」。今回示したとおり前者は正しいので、論理学的に後者も正しく、反論はあり得ない。

たとえば「オープンレターを信じて署名したからこそ、逃亡し黙ったきりの責任者を許さない」という批判者が、いるだろうか? ご存じのとおり、誰もいない。なら署名しなきゃいいのに(笑)。

「本気でウクライナを応援してきたから、なし崩しで停戦になるのを黙って見ているなら、ファンだった専門家でも許せない!」という人も、ほぼ見ない。アンチさえ出てこないということは、つまり本気じゃなかったのである。ウクライナなんてどうでもよかったのだ(笑えない)。

私が目下の歴史学をバカにし続けるのは、ホンモノの歴史を信じるからこそ、ニセモノを殴り、蹴っているのである。辻田さん・浜崎さんとの鼎談のうち、伊藤隆氏を扱う箇所の補足として、そのことはぜひ伝えたい。