黒坂岳央です。
人助けは美徳であり、誰しも相手から感謝されることは心地よく感じるものである。
無縁社会と言われる現代だが、筆者はできるだけ親切な人でいるように心がけており、過去記事で書いた通り、困っている人を見かけたら声をかけて手を貸すこともある。そうする理由は「自分が気持ちいい」からであり、筆者は自分のために相手を助けるようにしている。
だが、世の中には明確に助けてはいけない相手がいる。たとえ助けても結局相手は救われず、助けた自分も不幸になることは運命づけられており、最初から助けようとしてはいけない。
まるで「そんなバカな」と言いたくなる話だが、この話の言語化にトライしたい。
※もちろん、どんな話にも例外はあるので本稿はあくまで傾向としてご理解頂きたい。
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alexcalin/iStock
助けるべきではない人とは?
ではどんな人を助けてはいけないのか?それは「依存体質な人」である。似たような表現に「テイカー」や「搾取するタイプ」などあるが、総じてこうした属性の相手には気をつけた方が良いと思っている。
昔、派遣社員をしていた頃、職場に人生に悩みを抱えている年齢の近い女性がおり、仕事が終わった後に毎日相談に乗っていた。最初は人間関係や仕事の悩み話だったのだが、自分が真摯に話を聞いて共感する様子を確認してから人間性が豹変した。
彼女は自分の周囲の仕事や人間に対して強い攻撃性を見せ、こちらの反応が彼女の期待と違った場合は食って掛かるようになり、いつしかこちらに対して文句を言い出すようになり、ちょくちょく謝罪を要求されるようになった。
毎日仕事終わりに何時間もずっと彼女の愚痴を聞き続けたり、責められることに疲れてしまい、自分は彼女を避けるようになった。そうすると、今度は相手から追いかけられるようになり、最後には最寄り駅で待ち伏せまでされるようになったのだ。
今ならこうした行動の原動力が理解できるつもりだ。依存性の高い人はしばしば「共感してくれる人」に寄りかかり、徐々にその人を自己の感情処理の道具のように扱う。最初だけは感謝を示すが、次第に「当たり前」と感じてもっと助けてほしい、期待に応えてほしいと要求がエスカレートしていく。