不眠症や頭痛、めまい、難聴、てんかん、脳卒中、弱視、発熱などなど、挙げればキリがありません。
その一方で、当初から人々はアヘンに危険な一面があることにも気づいていました。
それは「中毒性が高いこと」と「服用量が多すぎると死んでしまうこと」です。
医師の中には危険視する者もいましたが、人々はアヘンの神がかった効能に魅入られてしまい、アヘンを手放すことはできませんでした。
17世紀のイギリスの医師トマス・シデナムは「全能の神が苦しみを和らげるために人間に与えた治療薬の中でも、アヘンほど万能で効き目のあるものはない」との言葉を残しています。
こうして「神の薬アヘン」という考えが世界中に浸透しました。
そして人類はアヘンをきっかけに戦争まで起こしてしまうのです。
中国人を狂わせた「アヘン戦争」
時は18世紀のイギリス。
大衆の間で紅茶が大流行しており、イギリスは生産地の中国から大量に茶葉を輸入していました。
中国は当初、その見返りとして銀をもらっていたのですが、イギリス側が次第に大量の銀を輸出することを渋り出します。
そこで銀の代わりにアヘンを送ることにしたのです。
仕組みとしては次のような三角関係が描かれます。
まず、中国からイギリスへ茶葉が輸出されます。
次にイギリスはアヘンを作っていないので、植民地のインドに綿織物を送り、その代わりにインドで大量のアヘンを生産させ、中国へと送ったのです。
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そして予想通り、中国でアヘン中毒者が続出することになり、中国へのアヘンの輸入量が年を追うごとに爆増していきました。
1720年には15トンでしたが、1773年には75トン、そして1839年には2540トンというあり得ない数字にまで膨れ上がっています。
その結果、当時の中国人の4人に1人(約25%)がアヘン中毒になってしまったのです。
「これでは国が崩壊する」と危機感を抱いた中国政府はアヘンの輸入を禁止します。