ヴィーゼンタール自身、ナチス戦犯を法の裁きにかけることを生涯の使命としていた。彼のモットー「正義であって復讐ではない」は、1988年に出版された回想録のタイトルにもなっている。当方はナチ・ハンターと呼ばれたヴィ―ゼンタールと数回、会見したが、彼に「戦争が終わって久しいが、なぜ今も逃亡したナチス幹部を追い続けるのか」と単刀直入に質問したことがあった。するとヴィーゼンタールは鋭い目をこちらに向け、「生きている人間が死んでいった人間の恨み、憎しみを許すとか、忘れるとか、言える資格や権利はない。『忘れる』ことは、憎しみや恨みを持って亡くなった人間を冒涜する行為だ」と強調した。同氏の死生観に当方は当時、驚かされたことを思い出す。

「許しの限界」を書いたルカス・ヴィ―ゼルベルグ記者は「シモン・ヴィーゼンタールの作品において、ひまわりは何度も登場する重要なシンボルだ。ドイツ兵の墓の多くにはひまわりが咲き誇っている一方、ナチスによって殺害されたユダヤ人たちは、無名のまま集団墓地に葬られている。この対比によって、ひまわりは『奪われた個性』やホロコーストの象徴として描かれている」と解説している。

ヴィーゼンタールがひまわりを選んだ背景には、「個性」と「記憶」の喪失への深い悲しみがあるのだろう。ひまわりが持つ明るい象徴性を、犠牲者たちの無名性と対比させることで、彼は人間一人ひとりが持つ固有の価値を訴え、命の尊さを再認識させようとしたのではないか、というのだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年1月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。