この対応が正しかったのかを探るのが第2部だ。ヴィーゼンタールは1968年から1969年にかけて、このジレンマについて、宗教、哲学、文学の著名人に意見を求めた。答えは一つではなく、多様な受け取り方があった。
多くの寄稿者は、ヴィーゼンタールが直面した状況を重視した。例えば、イタリアの化学者でホロコースト生存者のプリーモ・レーヴィは、「死を目前にした強制労働者」の立場を理解することの重要性を指摘し、このジレンマは抽象的な議論では解決できない、としている。宗教的観点からは、ウィーンのフランツ・ケーニヒ枢機卿は「その場での許しはほぼ超人的な行為だ」と述べている。同時に、ヴィーゼンタールを救おうとするようなコメントも寄せている。一方、ナチス幹部だったアルベルト・シュペーアは、自身の罪悪感とトラウマを語り、ヴィーゼンタールを「理解者」として受け取っている。
「ひまわり」の発行後、特にイスラエルでは批判的な意見が多数寄せられた。600万人以上のユダヤ人がナチス・ドイツ軍の蛮行の犠牲となった後、「なぜ神は多数のユダヤ人が殺害されるのを黙認されたか」「神はどこにいたのか」といったテーマが1960年から80年代にかけ神学界で話題となった。すなわち、アウシュヴィッツ前と後では神について大きな変化が生じたわけだ。神学界ではそれを「アウシュヴィッツ以降の神学」と呼んでいる。ホロコースト生存者たちは、倫理的な問題に悩む余裕がなく、「なぜ自分が生き残ったのか」や「他の人を救えなかったのか」に悩む日々を送っていた。また、イスラエル国家の建設に尽力していたユダヤ人らにとっては、この本のテーマは受け入れがたいものだった。
ちなみに、ドイツの実存主義哲学者のハンス・ヨナス(1903~1993年)は「アウシュビッツ以後の神」という著書を出し、ナチス・ドイツの絶対悪に対してなぜ神は沈黙していたのか、暴力の神学的意味などを追求した一人だ。同時に、「神の死」の神学が1960年代に登場してきた。