8月6日、ディーリングはユタ州の刑務所へ移送されますが、その列車に乗せられる直前にこんな言葉を残しています。
「すべてが虚しいと悟ったよ、死ぬのは怖くない」
ディーリングは男性を射殺して車を奪ったことを後悔していると認め、「裁判のお役所的な手続きは抜きにして、さっさと死刑にしてほしい」と訴えます。
それもあってか異例のスピードで死刑判決が下され、逮捕からわずか3カ月で刑が執行されることになったのです。
人生最後の数週間、ディーリングは自らの人生の罪滅ぼしのためか、模範的な市民になろうとしました。
役所には「子供たちのために公園や体育館をもっと作って欲しい。彼らが健全な活動に集中できるよう、遊びの施設を増やしてあげるべきだ。自分にはできなかったが、子供たちが能力を伸ばせる機会を与えてやってほしい」と手紙を書いています。
また彼は死後に自分の体を医学研究のために提供することを約束しました。
ディーリングはそれについて「俺はようやく一流の教育を受けることができるんだ」と話したといいます。
加えて、彼の体の一部は移植用に使われ、実際にディーリングの目は全盲患者の視力回復に役立ちました。
もう一つ、ディーリングはスティーブン・ベズリー医師の依頼で、ある実験に参加することを承諾します。
それが最初に言った「銃殺刑直前の心拍数を記録する実験」です。
このような実験は史上初めてのことでした。
これはマッドサイエンティストの病的な好奇心を満足させるためではなく、恐怖体験が心臓に及ぼす影響と、心臓が損傷を受けてからどのくらいで死亡するかについて貴重な情報を得るためのものでした。
そしてついにディーリングの刑執行の日がやってきます。
史上初、銃殺刑直前の心拍数を計測する
1938年10月31日、仲間の囚人たちが鉄格子を叩いて騒ぎ立てる中、ディーリングは至って冷静な表情で刑場へと歩いていきました。