JFCは週刊文春を発行している文藝春秋社に取材し、以下の認識を得ています。
新谷といたしましては、「記事を書く上では常に最悪の想定が必要で、最悪の場合、書かれた相手が命を断ってしまうことさえある(「女性セブン」報道での市川猿之助氏が両親とともに心中を図り、両親が死亡してしまった例など)。記事が対象にどのようなダメージを与えるかは予断を許さないが、最悪の事態を想定しつつ、それでも書く場合は、その理由を読者に胸を張って説明できるか否かを常に考えている」という趣旨での発言です。
週刊文春では、たとえば我々法務部や顧問弁護士と連携しつつ、記事の公共性、公益性、真実相当性について、多角的に検討したうえで記事化しています。単に事実であればよいと考えているわけではなく、「報道する意義はなにか」は常に議論の対象にあります。そして、万が一取材対象に不幸が生じたとしても、記事は間違っていないと主張できる徹底した取材をすべきであるとの考えを共有しています。
「死ねと言っているわけじゃないけれども、自殺するんだったらしょうがない」というのは弊社の目指す報道倫理とは真逆であり、悪意に満ちた誤報であるというのが弊社の見解です。
その上で、以下判定をしています。
判定 拡散した画像は、田端氏が新谷氏の発言として紹介した内容を曲解して伝えており、新谷氏が「記者の覚悟」として話した内容とは異なる。また、文芸春秋は新谷氏の真意を説明したうえで「弊社の目指す報道倫理とは真逆」と述べている。よって誤りと判定した。
「言及対象者が真逆と言ってるから誤り」というのは非常に短絡的で、ファクトチェックの判定としてあり得ないでしょう。
「切り取り」とは言えるが「誤り」とまで言えるのか?最悪の結果を回避しようとしないのか?新谷氏や田端氏の動画での発言やJFCの質問への文藝春秋側の回答から伺える姿勢をまとめると、『書く内容の公益性は当然考えた上で、最悪の結果が出たとしても説明がつくように根拠を集め、書いた理由についても胸を張れるものに基づくべきである』というものでしょう。