BBCのドキュメンタリーで証言者の一人となったのが、86歳のブライアン・アンサンク氏だ。
アンサンク氏は、英空軍の料理番として太平洋に浮かぶクリスマス島に向かった。同島はキリバス共和国ライン諸島に位置する世界最大の環礁で、1950年代後半から1960年代初頭、英国と米国が大気圏内核実験を行った場所である。
同氏は2発の水爆実験に立ちあった。合計すると広島に投下された原爆320個分の破壊力を持つ。
実験目撃から2-3か月経ったころ、同氏の口から血が噴き出してきた。数週間のうちに歯がすべて抜け落ちた。腸の不調に悩まされるようになり、妻は13回の後期流産に苦しんだ。生き残った2人の子供たちのうち、息子は心臓に2つの穴が開いて生まれ、娘は子宮が2つあった。アンサンク氏自身は皮膚がんに悩まされた。
下院によるリサーチ文書「核実験帰還兵」(2023年11月)によると、元兵士らへの健康上の懸念に関連して、政府は多くの研究によって「核実験帰還兵のがんの罹患率や死亡率は核実験計画に関与しなかった従軍兵と同様であり、一般集団よりも低いことが一貫して実証されている」としている。
実験場所の地元民たちは実験場所となった地域に住む人の苦しみも忘れてはいけないだろう。
地元住民には事前に十分な警告がなかったばかりか、軍隊引き揚げ後は大量の廃棄物が残されてしまったのである。
オーストラリアの歴史家リザベス・タイナン教授は番組の中で「オーストラリアは物理的にも政治的にも有害な遺産を残された。この国の人々に多大な被害と悲しみをもたらした」という。実験場所の1つとなったマラリンガに残されたプルトニウムの量は、「地球上のすべての人を殺すのに十分な量だった」。
カンタベリー・クライスト・チャーチ大学のケビン・ルアン教授はこう話す。冷戦構造の中で、英国は核実験に力を入れた。「人間に被害が出ても仕方ないと考えたのではないか」。