こちらは30代、忠重が12歳まで過ごした部屋であり、ここで学を積んだ後明治期には公爵の地位を得て海軍に進み英国大使館付武官となりました。

こちらは「披露の間」と呼ばれ、島津家に届いた数々の贈り物をこの場で披露するために用いられた部屋でした。贈り物をオープンするためだけの部屋なんてなんて贅沢。。。島津忠義氏の御令嬢だった昭和天皇の皇后・香淳様もお座りになったことがある椅子です。

忠義が寝起きしていた寝室は、意外にも建物の中央部にありました。こういった部屋は建物の奥の方にあることが多いのですが不思議な間取りです。床下にもみ殻が敷かれ、冬でも暖かくなるよう工夫が凝らされています。

池に映るサッシのリフレクションが美しい。

庭も美しいのが仙厳園の特徴。なにせ敷地が15,000坪もあるわけですから至る所に庭があります。御殿の中にももちろん日々苦労の絶えない中でひとときの安らぎを与えてくれる庭園が存在します。

湧水越しに眺める桜島。幕末の激動期、この地に居を構えた忠義はここで何を想っていたのでしょうか。

御殿の様子を庭側から望む。

御殿を出て仙厳園の東の端へ。入り口からここまで結構歩きました。ここは桜島がもっともよく見えるビュースポット。

真っ青な錦江湾。そしてその向こうに桜島が何も遮るものなく見ることができます。

国鉄型のキハ47が走り抜けていきます。最高!

先ほどの写真にも写っていましたが教会の先端部分にも見えるもの。こちらはかつて島津家が開発しようとしていた水力発電施設の一部です。仙厳園は別邸、名勝という面を持つ一方、近代日本の産業革命を担おうという施設もいくつかつくられていました。

かつて列強に対抗するため大砲を鋳造した反射炉跡。

その最たるものがこの反射炉跡。幕末、欧米の植民地化を恐れた島津斉彬は彼らに対抗するため「集成館」を中心とした西洋式の工場群を建設します。その中で大砲の鋳造施設を作ったのですが、そのひとつがこの反射炉であり、仙厳園内では今もその跡が残っています。