問題はその米国が昔のような勢いがなく、中国経済の進出に怯えてきたとしても、依然世界超経済大国である事実は変わらないことだ。その超大国の米国が他国からの輸入品に特別関税を実施し、国内の経済、雇用を保護することに専心した場合、やはり他国からの批判は避けられなくなる。
グロバリゼーションや多国間主義に批判的であるとしても、一国だけの利益のために専心することは21世紀の現在、無理がある。なぜならば、世界の経済ネットワークは米国をも網羅しているからだ。米国は孤立しているのではない。それ故に、それなりの責任を担う必要が出てくるのだ。ドイツで16年間政権を担当してきたメルケル前首相は「トランプ氏は全ての交渉を勝ち負けで判断し、ウインウインを理解していない」と批判しているが、その批判に一理はある。
オーストラリアのメルボルン出身の哲学者ピーター・シンガー氏(Peter Singer)は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中でAltruism(利他主義)の新しい定義を語っていた。シンガー氏は、「利他主義者は自身の喜びを犠牲にしたり、断念したりしない。合理的な利他主義者は何が自身の喜びかを熟慮し、決定する。貧しい人々を救済することで自己尊重心を獲得でき、もっと為に生きたいという心が湧いてくることを知っている。感情や同情ではなく、理性が利他主義を導かなければならない」という。
シンガー氏の利他主義は聖人や英雄になることを求めていない。犠牲も禁欲も良しとせず、冷静な計算に基づいて行動する。シンガー氏が主張する“効率的な利他主義者”は理性を通じて、「利他的であることが自身の幸福を増幅する」と知っている。だから「理性的ではない場合、利己主義と利他主義の間に一定の緊張感が出てくる」と言い切っている。
米国第一主義は近い将来、効率的な利他主義の生き方に軌道修正する時を迎えるのではないか。それはトランプ氏の「米国を再び偉大な国にする」という旗を降ろすことを意味しない(「利口ならば人は利他的になる」2015年08月09日)。