子の姓をめぐる親族間の係争は、同姓夫婦でも起こり得る。たとえば、夫の姓を名乗る同姓夫婦の妻側に実家の跡取りがいなくなり、夫婦の一人っ子に妻の旧姓を継がせようとしたら、夫側親族から強く反対され、結局両家がともに譲らず、激しい争いにエスカレートすることだってある。判断基準についても、諸外国の事例や類似の判例から今後じっくり検討すればよいだけでの話である。

高石氏は続けて「家裁がいかなる決定をしても、夫婦双方が納得できる理由を示せるとは考え難い」(産経新聞同上)と述べる。だが、そうした事案は離婚、親権、相続など家庭問題全般で起こり得る、というより実際に起こっているわけで、別姓夫婦の子の氏に限ったことではないはずだ。何歩も先を心配するのは国民への政治的厚意か、はたまたパターナリズムであろうか。

ところで、「選択的夫婦別姓」は文字通り、同姓と別姓のいずれを選んでもよい制度である。だが、反対派の論点は専ら「別姓」に集中し、あたかも結婚するカップル全員が「別姓」になるかのようなニュアンスで議論を展開している。この制度が導入されても、全カップルが別姓を選ぶような事態はあり得ない。

同姓に比べて、別姓のハードルは高いので、別姓を選ぶ割合は低いと思われる。それでも、生まれ持った自分の姓を使い続けたい人に選択肢が設けられることの意義は極めて大きい。もちろん同姓にしたい人は同姓を選べる。

重要なのは「選択」なのである。人生の選択肢は多いに越したことはない。だが、待てよ、反対派の先生方、「選択の自由」がお嫌いなのかも(トホホ!)。