アメリカ植民地時代の最大の謎とされる「ロアノーク植民地集団失踪事件」。400年以上もの間、歴史家たちを悩ませてきたこの謎に、一枚の古地図が新たな光を投げかけている。

突如として消えた115人の入植者たち

 1587年、イギリスのエリザベス1世の命を受けた115人の入植者たちが、北アメリカのロアノーク島(現在のノースカロライナ州沖に到着した。これは、北米大陸における最初のイギリスによる永住入植の試みであり、特筆すべきは女性や子どもたちも含まれていたことだ。入植者の中には、入植地の総督ジョン・ホワイトの妊娠中の娘エレノア・ホワイト・デアもいた。エレノアは間もなく女児を出産し、新大陸で最初の英国人の赤ちゃんとしてバージニア・デアと名付けられた。

 しかし、物資補給のため一時帰国していたホワイト総督が3年後に戻ってきた時、植民地全体が忽然と姿を消していた。残されていたのは、ロアノーク島の南に位置する別の島の名前「CROATOAN(クロアトアン)」と刻まれた木柱だけであった。これ以来、115人の入植者たちの運命は、病死説、先住民による虐殺説、スペイン人による殺害説、先住民との同化説など、様々な推測を呼んできた。