男がリボルバーに一発の銃弾を込め、シリンダーを回転させる。

銃口をこめかみに押し当て、冷や汗が頬をつたい落ちるのを感じながら、意を決して引き金を引く。

…カチャッ!

運よく弾は発射されず、男は生き延びることができた。

これは「ロシアンルーレット」として広く知られる死のゲームです。

しかし実際にこのゲームがいつどのようにして生まれ、世界に広まったのかご存知でしょうか?

その歴史を紐解いてみると、ロシアンルーレットには意外な誕生秘話が隠されていたのです。

目次

  • ロシアンルーレットは「小説家」の作り話だった⁈
  • ロシアンルーレットによる死亡者が後を絶たない

ロシアンルーレットは「小説家」の作り話だった⁈

ロシアンルーレットは一般的に、その名前にもあるようにロシアが発祥の地と思われています。

過去に「帝政ロシア軍で将校らの”遊びの一つ”として行われていた」とか「警察が容疑者に圧力をかける方法として誕生した」とか「囚人が看守に強要されたゲームだった」といった幾つかの説がありますが、どれも噂レベルで確かな証拠はありません。

それよりもロシアンルーレットが誕生した経緯には、最も有力な説が別にあります。

それはアメリカの冒険小説家ジョルジュ・サーデズによる創作だという説です。

サーデズは1937年に『コリアーズ・マガジン』にて、そのものずばり『ロシアンルーレット』と題した短編小説を発表しました。

物語はフランス兵の視点から描かれており、彼が「1917年のロシア革命で、失うものがなくなったロシア人将校らが、あらゆるところで死のゲームをしているのを見た」と話しています。

そこで行われていたゲームこそ、ロシアンルーレットだったのです。

ただサーデズが描いたロシアンルーレットは、今日広く知られるルールとは違い、6連発式のシリンダーから1発だけ弾を抜いた状態で行われていました。

つまり6分の5の確率で弾が発射されるので、ほぼ確実に死にます。

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リボルバー/ Credit: canva