知る人ぞ知る話ですが、かつての中国では人肉食がかなりカジュアルに行われていました。

たとえば明の時代に書かれた小説『三国志演義』には劉備を泊めた貧しい猟師が食事に出す肉がないので、妻を殺してその肉でもてなしたというエピソードがあり、しかも驚くべきことに作中で美談として描写されています。

普通ならホラーになってしまいそうなこのエピソードが美談として成立するのは、当時の倫理観が現代と異なることに加え、人肉食への忌避感が薄かったことも影響していると考えられます。

実際古の中国では、人肉食が飢饉や食糧不足といった理由以外でも行われていました。

果たして人々は人肉をどのような目的で食べていたのでしょうか?

なおこの研究は塩卓悟(2010)『唐宋人肉食考』洛北史学12 巻に詳細が書かれています。

目次

  • 復讐や憎悪表現として敵を食べることもあった
  • 乱世には人肉愛好家も現れた
  • 最上級の親孝行とされた割股

復讐や憎悪表現として敵を食べることもあった

古の中国では仇敵の死体の肉を食べることが多々あった
古の中国では仇敵の死体の肉を食べることが多々あった / credit:いらすとや

古代中国、唐から宋の時代にかけて、人間の肉を食すという忌まわしい行為が、一部において復讐や憎悪の表現として行われたといいます。

これには複数の類型があるのです。

一つは、民衆が憎むべき権力者の死体を食す例

二つ目は、怨敵の肉を復讐として食する行為です。

まず、最もよく知られるのが棄市(きし、公開処刑をして死体を晒す刑)での事例です。

『太平広記』や『資治通鑑』には、数多の無実の人々を犠牲にし、民衆から憎悪を一身に集めたある官僚が処刑された際、憤怒に駆られた人々がその肉を競って食らい尽くし、骨を踏み砕いたと記されています。

この惨劇は、単なる死では足りないとする憎悪の極致を象徴しているのです。

またある役人は苛烈な労役で民衆を苦しめたところ、その怒りの末に死後その肉を奪われ食されました