で、いよいよ今月から、テキ屋以上に怪しげな ”Deal” を連呼するトランプがまた大統領になっちゃういま、これ結構大事だと思うんすよね。

『Voice』誌2月号の特集は「トランプ2.0」ですが、柳澤田実氏が「「生贄」で成り立つアメリカ政治」という、ショッキングなタイトルの論考で興味深いことを書いています。

副大統領になるJ.D.ヴァンスと、イーロン・マスクの共通の元上司がピーター・ティールですが、リバタリアンの最右派とも呼ばれるティールの思想のコアが、ルネ・ジラールの供犠論にあるという指摘です。

なぜ世界に争いが絶えないかといえば、人間は互いを模倣しあって「似たりよったりの欲望」を持つため、必然として過当競争に陥るから。そこから脱する手法がイノベーションだけど、簡単にはできないので、人は「こいつを叩くという点ではみんなで協力しよう」といった存在をデッチ上げて排除し、それによって社会を維持する…。

René Girard(1923-2015)フランスの現代思想家ですが、教えたのはアメリカの大学で、ティールはスタンフォードでの弟子。写真はWikipediaより

実は私、大学の勉強って面白いなと思うきっかけが、ジラールを援用した『男はつらいよ』の分析でした(テキストの著者はたしか、今村仁司か赤坂憲雄のいずれか)。葛飾柴又の「日本的」な共同体は、寅さんなる非・日本人的な生き方を「ああなったら真人間じゃないぜ」と晒し者にすることで、秩序を保ってきたというわけ。

言い換えると、日本人はジラールの供犠論を「あぁ、そうやって少数派を排除してる自分って、ちょっと後ろめたいなぁ」という風に読む。だから、犠牲にされちゃった寅さんへの、贖罪めいた憧れも生まれる。