オーストリア国民にとってウクライナ避難民の評価が高い一方、イラク、シリアなど中東出身の難民に対して厳しい目で対するのは、偏見や独断からというより、「文化圏」の問題だといえるのではないか。同じキリスト教圏といってもバルカン半島のセルビア人は主にセルビア正教会に属し、伝統的にモスクワのロシア正教会と深い繋がりがある。両国は東方正教会に属する。だから、セルビア人は親ロシア傾向があり、欧州連合(EU)加盟国のキリスト教国とは文化圏が違い、パーセプションギャップが生じる遠因ともなる。

例えば、難民による女性暴行事件が生じることがあるとその度に、メディアから「だから難民を受け入れるべきではない」といった意見が飛び出す。イスラム教圏出身の男性の難民の中には女性に対する尊敬心がない者が少なくない。それ故か、若いイスラム教出身の男性難民がオーストリアの女性に暴行するという事件が起きる。キリスト教圏では女性の権利尊重は小さい時から教えられる。

文化圏の相違が社会、政治問題に大きな影響を与えているとしたなら、他の文化圏との交流や連帯が難しい面は否定できないが、不可能ではない。キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教は元をただせば信仰の祖アブラハムから発生した宗教だ。だから、キリスト教圏、イスラム教圏で文化圏を分けている限り、両宗教にはその教えや慣習で違いが出てくるが、両宗教が同じアブラハムから発生した「アブラハム文化圏」に属すると考えれば、和解、連帯の心情が生まれてくるのではないか。

たとえば、スペインは一時期、欧州のイスラム教の拠点だったことがある。そのスペインは現在、カトリック教国だ。アラビア半島からイベリア半島までその勢力を拡大したイスラム教派は718年、西ゴート王国を破り、イベリア半島を支配した。イスラム教の指導者たちはスペインにいたユダヤ教徒らの助けを受けてスぺインを占領していった。イスラム教がスペインを支配していた間、スペインでは天文学、数学など学問が急速に発展した。現地にいたユダヤ民族は1055年前までの時代を「黄金の時代」と呼ぶほど、ユダヤ学問や文化が栄えた時代だった。イスラム教帝国にとって医者や学者の多いユダヤ人は統治に必要な人材として重宝された、といった具合いだ。