国会における立憲民主党(以下、立民党)「小西洋之劇場」がなんとなく終幕を迎えようとしている。

自作、自演に自滅が重なったじつに不毛な空騒ぎだった。少し前の「モリカケ騒ぎ」のように。活動家気質の野党議員があげた狼煙の炎を発行部数激減で活動ビラ化する左派系紙メディアが延焼させ重要審議山積みの国会をまんまと焼きつくしてしまった格好だ。この間意義のある議論もされないまま来年度の予算が成立してしまっている。国民の憂いは深い。

小西議員

小西議員の主張には初めから奇妙な印象を受けた。

「放送法を国民の手に取りもどしてください」と総務省の職員から「超一級の行政文書」を託されたと訴えているが、放送局に対する権力の介入というのは本当にあった話なのか。たとえば、時折からかい半分で見る偏向が指摘されたTBSの番組「サンデーモーニング」などは、いつもの出演者による「平常運転」としか感じられなかったし、当のTBS佐々木卓社長自身が「現場は委縮していない」とはっきり証言してもいる。

そもそも放送法の解釈を変更することは小西議員が騒ぎたてるほど重大な問題なのだろうか。解釈は所詮解釈にすぎない。ひとつの番組だけでテレビ局の姿勢を判断しない、という基準がより厳格に順守されるべきだ、と考えるなら、放送法を改正すればよいだけのことだ。

もしかすると、小西議員は知らないのかもしれないが、国会は、本来立法府であって、有力な与党議員の首を取るための場ではない。小西議員が自ら放送法の改正案を「参法(参議院議員による議員立法)」として発議し、議員仲間を募って議会に提出することだってできるのだ。

小西議員に呆れたのは立証(挙証)責任を完全に倒錯していた点だ。不当な(小西議員は違法といっている)権力介入の確たる証拠として自分の示した文書が当事者とされる高市経済安保担当相(元総務相)から「捏造」と返されたのなら、文書の正当性を立証する義務は小西議員の側にある。

だが、いっこうにそれを証明しようとしないまま高市経済安保担当相に議員を辞職せよといい募るばかりなのだ。一方的に疑われたにすぎない高市経済安保担当相に自ら身の証しを立てろと迫りながら。これは、未知論証(無知に基づく論証)、俗に「悪魔の証明」と呼ばれる典型的な詭弁術だ。悪魔が存在しないことを証明できないから、悪魔は存在する、とはならないように文書の捏造を証明できないから、捏造はあった、とはならないのだ。

小西議員はこう主張していた。