これはちょうど、「推し活」を選挙に導入すれば、前よりポジティブな結果が出るに決まってるじゃん? 「推し」が政治家になるんだし! みたいな議論が、昨年の日本で破綻したのと同じ構図です。
自分じゃなく他人(推し)にアイデンティティを預けちゃう時点で、深い無力感が忍び寄っている。そんな状態だと、推しがダメなやつだとわかったところで、どこまでも離れられない。DVされても「私の ”推し方” が足りなかった」と、自分を責めちゃう被害者のようなものですね。
「推し文化」が変えた政治とメディアのリテラシー|Yonaha Jun
12月25日発売の『正論』2025年2月号に、「斎藤知事再選と「推し選挙」 その必然と危険」を寄稿しています。以下のnoteが好評で、ぜひ年内に出しておきたいと急遽お声がけいただきました。御礼申します。
「推し」の文化ってホントは、民主主義と相性悪いよね、とは、一見すると『正論』と真逆の朝日新聞で2021年の夏、延...
そうした現状からの出口は、どこにあるのか?
記憶に新しいニュースの数々と、思想的な掘り下げ(後半はアーレントで議論しています)を通じて、探る対談になっています。多くの方にお目通しいただければ幸いです!
(ヘッダーは毎日新聞より、テキサスの集会でハリスを応援するビヨンセとケリー・ローランド。Destiny’s Child世代としては感慨深いのですが…)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年1月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。