尊厳のデフレによって、自分には存在意義があるという感覚を失う、すなわち自己肯定感を奪われてしまう。そうすると、「私自身は無能(無価値)かもしれないが、この人(理事長でも大統領でも)が『有能な人物』であることを知っており、彼に倣って行動している点では私もまた有能である」といった思惟様式で、力ある他者の能力を忖度することに自らの存在意義を見出そうとする。
書店のベストセラーの棚にいけば、著者の能力を「忖度させる」書物が山をなしています。キメ顔の著者の写真に、一流大卒、何歳で起業して成功、いま何億稼いでる、親交ある著名人が絶賛……といった「能力」を誇示する帯。読者はそれを手にとることで、「自分は少なくとも、こうした『有能』な人の存在を知っている」と安心するのでしょう。
――その安心を守るために、はたして帯の文句や著作の内容にどこまで内実があるのかは、あえて調べずに。
332-3頁 初出は『現代思想』の大学特集
ニヒリズムのベースにあるのは、無力感なんですよね。自分には力がない、ゼロだ、と打ちひしがれていると、これに賭ければ「ゼロから抜けられるぜ」と言われただけで、どんなに矮小なニセモノでも掴んでしまう。
しかし、そうしたニセモノ自身が往々にして空っぽな存在で、当人も自分に中身がないと知っているので、せっかく見つけた「信者」を手放さないよう、他の権威に頼ったキラキラ演出に依存していく。落選後はすっかり「敗因」扱いされている、カマラ・ハリスのセレブゲスト呼びまくり戦術みたいなやつですね(苦笑)。