以下のアカウントの発信の拡散力が大きいので、このアカウントが「能登ウヨ」と書いたことが取り上げられてそのような用語が使われていることの認識がさらに広がりました。

毎日新聞の当該記事に対して「境遇が似てますが勝手に私と決めつけ発信する方へは、法的に対応致します」と書いてます。

なお、このアカウントに毎日新聞の当該記事を書いている井上英介記者がX上で接触している様が見られます。記事中にスマホ内の画像として掲げられているものは、このアカウントが投稿した画像と同じものです。

そして、このアカウントは「能登ウヨ」という言葉が広がっていることに心を痛めたユーザーが、能登の飲食店を応援するために民間が興った能登の美味しいものをポストしてバズろうと企図して「能登ウマいヨ」というポジティブなワードを広めようとした動きに関しても「能登コワイヨ」というハッシュタグを使っていました。

このアカウントへの要求やその主張への論評が全て正しいわけでもなく、広大なネットには不見識な者が沢山いるために、投稿が拡散されると「集中的に攻撃されている構図」が出来上がるのは世の常です。

が、「攻撃されている者が被害者であり正しい」ということでもないというのは、兵庫県知事選挙に関するSNS上の言説でも指摘されていたことです。

果たして、このような用語法を「正当な批判への切り替えし」として取り上げるべき実態はあるのでしょうか?単に被災地を分断することになってるでしょう。

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