『日本近代短篇小説選 昭和篇2』 岩波文庫、60頁 (強調は引用者)

上野から谷中に移った作者(だとして)は、太宰春台という著名な歴史上の人物と、ゆかりの碑文を入手することに心奪われている。つまり、後世に作られた評価に基づいて、「あぁ、春台の墓の銘なら、思想史の史料として価値がございますなぁ」みたいな評判を得たいと思っている。

こうして視点が同時代を外れてしまった結果、さっきまではイエスのように畏怖を覚えていた浮浪児の姿も、単に「汚ったねぇなぁ」という風にだけ見えてしまう。しかしこの後、「イエス」は主人公に追いつき、そうした驕慢に徹底的な復讐を果たして(読んでのお楽しみ!)、去ってゆく。

文学性のない口語体に翻訳しますと、「これ、江戸時代に彫られた貴重な文章なんすよぉ」と、まるで骨董いじりみたいに自国の過去に接して、ウッヒョー俺の歴史研究ってジッショー的! と舞い上がる主人公を、

「だからなんなん? そんなんがお前にとっては歴史なん?」

と、歴史それ自体が殴りつける話としても読める。ここにたまらない爽快感を覚えるわけです、私としては(笑)。

元日に、今年の夏まではにわかに「歴史の大事さ」を説く人が大量発生しますと、警鐘を鳴らしました。改めて、ホンモノとニセモノの歴史を区別する基準を確認しますと、こんな感じになります。

過去を訪れるとき、自分がいま持っている(つまり、後世に作られた)先入見や価値観をいちどは捨てて、まだ一切の意味づけがなされていない「イエス」のような存在に出会う準備ができている。そうした姿勢で描かれる歴史が、ホンモノ。