正しい努力は報われる。だが、その方向性を正しいものにするためにも無駄打ちは避けられないということだ。
何かあるとすぐ「自分には才能が云々」と言い出す人は多いが、その才能の有無を見極めるにも努力の投下が必須であり、仮に才能がなくても努力すれば手順は洗練する。自動車の運転で飛び抜けた才能でF1レーサーになるような才能がなくても、日々の運転という努力で手順が洗練することで安全運転は可能になるのだ。
さらに昨今は「頑張ってもムダ」と考えていかに手抜きをするか?という思考の人が多いので、上手に努力することでライバルを簡単に出し抜ける好機と捉えることができる。誰もが努力する中で多少努力しても差をつけづらいが、誰もが努力する気を失っている時に努力すれば大きな差をつけることができる。大衆に流れている限り、人生は豊かにならないだろう。
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「努力しよう」と呼びかけるよりも「努力はムダ」という方がウケが良いことは分かっている。単にアクセス数を増やすことは自分の利になる仕事をするなら、お金が欲しくてそうしたくなる気持ちはわからなくもない。
だが、自分は努力の力で人生が良くなった感覚が強く、英語を教える人の中にも努力して夢を掴んだ人をたくさん見てきているので「努力なんてムダ」と主張をしたいとは思わないのだ。
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